友の会副会長・北村喜八郎さんに聞く、友の会の40年

40周年

友の会創設時から理事を務めている副会長の北村喜八郎さんに当時の様子を「聞き書き」という、しゃべり言葉をそのまま生かした手法で伺いました。
今年で93歳になる北村さんを、令和6年の1月に姫路市神子岡前(みこおかまえ)の株式会社北村工務店の会長室へと訪ねました。●聞き手:篠原玲子(友の会)

話し手
◆北村喜八郎さん
昭和6(1931)年、姫路に生まれる。株式会社北村工務店の3代目で、現在は会長。平成13年、勲五等瑞宝章を受勲。美術館友の会には創立時より関わり、40年間、副会長を務める。

友の会副会長・北村喜八郎さんに聞く、友の会の40年

年重ね過ぎて、今日の話がお役に立つかどうかわからんし、忘れてしまう事も多いしネ。だが、戴いた、美術館と友の会の40年間の相互関係をまとめた資料が非常に参考になってネ。ふり返って、あのときそうだったな、あのときあの人にこんなことを御世話になったナァと思ったりして。40年になるもんな―。

年寄りがおったらプラスになることもあるやろうと思いながら、長い間置いてもろて有難いし、思い出しよったら実に楽しかった。お役御免をお願いしているが、40年いうたら、ほんと長いな。
その間、友の会の役員さんはもちろんの事、美術館の館長や学芸員さんの人の流れにも、運営自体にも、随分と変化があったし。これから、この友の会を、立派な形に変えてもらいたいと思っとるんや。

◆私と「友の会」創立のいきさつ

友の会の創立準備が始められた頃、今でも鮮明に覚えとるんやけど、友定さん(友定保雄さん=姫路信用金庫元理事長)が「友の会の発足準備にぜひ力を貸して欲しいのや」との電話一本。ほんでね、友定さんと仕事の関係でお世話になっている上に、ライオンズクラブの先輩でもあったし、懇意にしてもろとったんや。その上に当時の私の画業について、いろいろと詳しく知っておられたので、私に白羽の矢が立ったのかナ―。今から思えば、創立には友定さんが裏方さんとして尽力されていたように思う。

美術館、博物館、それから文学館、ちょっと変わったところで警察署(姫路警察友の会創設にも初めから参画した)等、みんな、官の傍によりそって友の会があったのではないかナ。美術愛好者のグループが、美術館の事業をお手伝いする。要するにボランティアでネ。建築士会とか弁護士会とか医師会とか、こういったグループは商売・事業に関係のある団体やけど、美術館友の会は少し変わった思い入れを持ったボランティアのグループとちがうかな。それでも40年間びっくりするような活動を続けてきとんやけどもネ。やはりなくてはならないものやナ。

副会長の私は、裏方さんとしてそおっとそばで見てる。そして、会長からの相談があったり言いにくいことがあったりしたら、お手伝いするようなことでな。そういう構えで、おったわけやな。

●創設時はまず数件の活動から

活動内容もいろいろあるが、今でも期待が大きく楽しいのは、美術館めぐりの“旅行”やったやろうと思うわ。それから、「友の会だより」の配布、喫茶店やミュージアムショップの運営や企画。美術館の手が届かない事のお世話もする。しかし、指導やアドバイスは美術館の人を頼りにして、実績を重ねて来た。
当初は、友の会だよりを三千部前後作ったわけや。残念なことやけど、今は数百部になっとるやろ。会員も減っとるから運営も大変や。

グッズを売るのも、喫茶店も、すべて初めは友の会がボランティアでやりよった。喫茶設置は大変やったけどな。「喫茶店つくろう」「そらええこっちゃ」「館内は火が使われへん、難しい」。苦労して、あのときは美術館も市役所も三者協力して、文化庁に申請してやっとOK。そして運営は依託でなく、友の会が直接に。

そうそう、喫茶で思い出すのは、姫信の先代の三宅理事長(三宅具哉・元友の会会長)より、喫茶の運営による課税免除に関しての折衝や、國富氏の素晴らしい美術作品の寄贈のご苦労など、理事長室で聞いたものや。また、ボランティア活動の往復時の事故にそなえて保険契約の発案など、大局小局より、ご経験豊かな経営者だなァとつくづく―。これも懐かしい思い出やな。


旅行は、僕も数回参加したことあるけど、皆楽しみにしとられた。あちこち数多く行った。参加者は好い思い出をいっぱい残されたと思う。毎年の企画は、理事会の大きな案件の一つだった。そうやって続いたけど、コロナで切れていたでしょ。さらに内容を変えてするのか、素晴らしい企画を続けていって欲しい。

従来は考えなかった、最近の「明後日朝顔」とか変わっていく企画に、裏方さんの友の会がボランティアとしてどう中身を変化・進化させていかねばならないか、楽しみやネ。

●ちょっと考えてほしいこと

美術館の活動を広く浸透さすために、賛助会員の存在は重要でありがたいが、年会費もろうて、ポスターとチケットと美術展画集を送るだけではあかん、会員に「何か」をしなければと当初考えたのが「座談会」やった。それが切れてもた。

というのはね、あまり興味がない、会社の幹部の人を集めて座談会をして、「いつも5万円ありがとう!」と言うのだけでは、座談会は続けていけない。単純な価値観に頼るだけではあかんからな。感謝の気持ちと美術普及のために、これからどういうようにするかいうのは大きな問題や思うんやー。


もう一つ、講堂の音響効果が非常に悪い。市役所にしっかり言わなあかん。声が割れてもて聞こえん時がある。せっかくの好い講演もみんな辛抱して、困っとる。参加するたびに感じるわ。

そうそう、今まで美術館として、子ども達への美術教育普及の行事が続いとる。これはええことやけど、前に言うとったんやけど、ポスターができたときに、市内の高校全部に送ればいい。美術館への関心は特に高校時代に、うんと形づくられるから、低学年は勿論だが、高校生にウェイトを置いて、考えていったら―? それによって、姫路で美術の好きな人がまた増えてくるで。

●美術館のこれから

美術館も、友の会も、創設期から一生懸命実績を積み重ねた。内容も少しずつ立派になってきた。展示品を“見る”というだけの美術館ではなしに、今回のチームラボや、杉本博司のような展覧会を考えるとか、企業が変わっていくのとおんなじに、美術館も変わってきよる。友の会も、ただ、ボランティアでお手伝いしましょうというところから変遷を経て、内容・目的が変わってきとる。だから、今の時代に添うた美術館と友の会をつくっていくいうことも必要やいうのが、最近僕の感じている事や。スピード感も必要やなー。地域社会とのつながりも―。

博物館・文学館の友の会の人を呼んで、座談会やとか講演してもろうたりしながら、交流の輪や連携をもっともっと深く広くしていくのも、ひとつの大切な考えやと思う。
館長の不動(不動美里・姫路市立美術館現館長)さんが、こないだ、NHKの日曜美術館に出られとったわ。チームラボ(デジタルコンテンツの開発)の事も紹介されていた。NHKに取りあげられるくらいのええ展覧会をしないと―。

◆最後に、お話しの初めのほうにも出てきた、北村さんが最後に描いた油絵を見せていただき、若いころのお話しに耳を傾けました。

私は1931年の生まれやから24歳の時、これが私にとっては大作60号の最後の絵。やめずに続けとったらよかったんやけど。残念やけど、ぷつっと切れてもてね。

大学在学中は無性に油絵にのめりこみ、趣味の域を超えて、青年画家の様に情熱を持って、6畳の小さなアトリエで過ごす時間が多かったんよ。やはり、姫路西高美術部(デザインで有名な永井一正さんは1期上の先輩)に入部したご縁で、尾田龍先生(国画会)との出逢いが私の人生にも、絵にも、大きな影響があったのは間違いなかったナ―。尾田先生は絵の師匠であり、アトリエ工事のお施主さん、そして仲人さんとご縁が深く、先生の最期の看取りまで続いた。

この《「ミキサー」のある建築現場》の作品は、国画会入選連続4回の最後の作品で、素人ながら、国画展常連作家と言われる事もあった。

お城が解体修理するときにネ、姫路在住の画家達を神戸新聞が招待して、お城を描いてくれと。その展覧会があってな、私もその中に選んでもらったことがある。新聞記事に、尾田龍画伯、森崎伯霊(播磨の田園風景を描き続けた画家)画伯、北村喜八郎画伯いうてな。“画伯”の肩書きにびっくりしたが、少し嬉しかったのを覚えている。

まァ、家業の建設業も忙しくなり、もとよりデッサン等の基礎的な勉強をした訳でもない私にとって、性格的にも変に自分の限界を感じたのか、ぷつっと切れたなぁー。それからは、絵筆を持つことも無く、案内を頂く美術館での観展と、NHKの「日曜美術館」が楽しみの老人生活ですナー。(了)

聞き手
◆篠原玲子
昭和55(1980)年、姫路生まれ。言葉と、肌ざわりのいいものに興味がある。現在は子育てに奮闘中。絵は描かないが、美術や美術館はずっと身近にある。
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